アメリカ合衆国で第2期トランプ政権誕生が誕生した。新潮選書の「反知性主義」という本を購入した。トランプという人の源流を理解したいと考えで買ったのであるが、なかなか読むことができない。「反知性主義」は、アメリカの専売特許ではない。過去にも、反知性主義が跋扈したという国を、筆者が知っている例が一つだけある。中国の明王朝である。中国の明王朝は、第3代皇帝永楽帝の治世以後、反知性主義が優勢になったと言われる。明王朝の歴史を見るとその通りである、と思う。永楽帝の曾孫である英宗という皇帝の時代には王振というという宦官が英宗のお気に入りとなり、絶大な権力を振るい、莫大な賄賂で巨万の富を築く。そして、モンゴル遊牧民の騎兵部隊の明王朝の国境を襲撃を受するや、周囲が止めるのも聞かずに王振は英宗に親征を勧め、50万という大軍でモンゴルに向かうが、補給を考えていなかったため、モンゴル軍に補給を絶たれた。その結果、全軍が戦意喪失となったところをモンゴル騎兵の襲撃を受けて、英宗は捕虜となり、王振以下多数の将兵が戦死する。勢いに乗ったモンゴル軍は、首都であった北京を攻めるが、英宗の弟が皇帝になり、その皇帝を支える有能な家臣が現れ、北京は防衛される。そして、後に英宗は無事北京に送り返される。本来なら、自らの大失敗で国を危うくしたのであるから、弟に感謝し身を慎まなければならない立場の英宗は、弟皇帝が病気に倒れて、再起不能と見極めるや、不満分子を集め、クーデターを起こし、皇帝に返り咲く。そして、弟とともに国を守った有能な家臣を処刑する。明王朝の皇帝では、英宗はましな方で、英宗の孫の武宗という皇帝などは劉瑾という宦官を重用し、この宦官もまた、莫大な賄賂を得て、巨万の富を築く。劉瑾は銀山開発の名目で宦官を派遣し、派遣された宦官は民の苦しみなどどこ吹く風で、因縁ともいえるような理由をつけて財産を取り上げ、自らの資産にする。とにかく財産を集めることに余念がない。結局、劉瑾はクーデターを計画したとして逮捕されて処刑されるのであるが、とにかく、民衆が重税に苦しんでも、皇帝も、官僚も誰も顧みない。それ以後も、明王朝にはどうしようもない皇帝がいる。明王朝でそのようなことがなされたのは、時代の底流に反知性主義があったからとされる。陽明学の出現、発展もその現れと言われる。明王朝の歴史が示すことは、反知性主義が蔓延すると、感情が優先される。その感情は、長期的視野に立つものではなく、かなり刹那的なものである。その結果、国家の指導的立場に立つ者達が理性的に長期的視野で国家的利益を考えるのではなく、刹那的な感情やその場での損得勘定で判断する。理性的に、長期的視野に立って判断するといっても、正しいものであるか誤っているものであるかは、時間が経ってみなければ分からないことが多いであろう。それでも、理性的に判断するということは、色々な情報を得て、その情報を客観的に見た上で判断し、行動することになるから、刹那的な感情等で判断したり、行動したりするよりも、誤る可能性や誤る頻度は、少ないであろう。誤ったとしても、誤ったことに気がついたときに後戻りしたり、他の方法で補うなど、失敗したときのリカバリーができる。刹那的な対応では、リカバリーの方法が用意していないため、リカバリーができない。明王朝も、最終的には、満州に成立した清王朝の攻撃には何とか耐えていたものの国内の反乱で最後の皇帝は縊死するという最期を遂げる。それでも、明王朝は300年近い命脈を保ったのであるから、立派と言えるかもしれない。しかし、その期間中の一般庶民の苦しみは大きかったであろう。中国のことわざに「上に政策あれば、下に対策あり」というものがあるそうである。簡単に言えば、皇帝以下の支配層が政策を打ち出したしても、一般民衆のためにならなければ、民衆はその政策に対する対策を編み出し、政策の効果を減殺するということである。アメリカでこの状態が続いたとき、中国で現在のような状況が続いたとき、世界はどうなるか。反知性主義が蔓延した世界がどうなるか。