院政

新年度に入った。株式会社の定時総会は、6月末に行われる会社も多く、その段階で、社長が交代し、前社長が会長、名誉会長などという職になるケースも多いようである。そのような時、実権は新社長には無く、前社長が実権を握る体制であるというような時、「院政が布かれている。」ということがある。この場合の院政は、平安時代末期から鎌倉時代初期に行われていた政治体制で、それを擬して称しているのである。平安時代末期の院政は、在位している現職の天皇には政治的実権はなく、前天皇である上皇や出家した上皇である法皇に政治的実権があるという政治体制である。諸外国にも、現実に在位している君主には政治的実権はなく、前君主に政治的実権があるという時代が存したことはあるようである。しかし、そのような時代が100年にもわたって体制として続いたのは、他の君主国から見ると特異なことであろう。現在放映されている大河ドラマの時代の政治的実権者となるのが藤原道長であり、藤原道長、その長男頼通の時代が摂関政治の頂点となる時代である。その後に続くのが院政の時代であるが、藤原道長によって頂点を迎えた摂関政治が院政の時代に変化していった理由、院政という政治体制が確立した理由についてはいろいろと説があるようである。摂関政治から院政へ転換していった時代について描いたのが、永井路子氏の「望みしは何ぞ」という歴史小説である。そこでは、藤原道長の第2の妻とされていた源明子所生の藤原能信が、藤原道長の第1の妻の子どもである藤原頼通らに出世面で差をつけられながら、挽回策を模索していく様が描かれている。永井路子氏の描くところでは、院政を生み出したものは、結局、藤原摂関家内部の権力闘争であり、藤原頼通らの影響力の及ばない天皇を即位させることで、自らが最高権力者になることを夢見ていた藤原能信が、結局、藤原摂関家を外戚としない後三条天皇を誕生させ、後三条天皇の誕生が藤原摂関家と血縁関係の無い白河天皇即位につながり、白河天皇のもとに、藤原摂関家に対する不満を持つ分子が集まり、摂関政治にとどめを刺したことを示している。摂関政治にとどめを刺すことになる萌芽が、摂関政治の全盛時代の藤原道長の2人の妻の関係にあったということは面白いところであり、そのような事実を知りながら、放映されている大河ドラマを見てみることも面白いかもしれない。