死せる孔明

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」というお話がある。出展が、三国志演義か正史としての三国志かはあいにく知らない。このお話は、三国時代の有名な蜀漢の軍師兼宰相の諸葛孔明が、魏討伐のために北上し、好敵手の司馬仲達を相手に持久戦を戦っているうちに、病を得て亡くなってしまったところ、蜀漢軍は、やむなく撤退をすることになった。仲達は孔明の死を知り、撤退する蜀漢軍を撃つべく追いかかけた。ところが、蜀漢軍は、追いかけてきた魏軍に向き直り、孔明が生きている時のような見事な戦陣を組んで対峙し、さらに、孔明がいつもの服装をして魏軍の前に現れた。それを見た仲達が、これは、孔明に謀られたと思い、あわてて蜀漢軍の追撃を止め、引き上げた。そのため、蜀漢軍は損害を被ることなく撤退することができたという故事にちなんだものである。この故事から、死んだ孔明が生きている仲達を大慌てで逃走させたということで、「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉になったということである。これは、諸葛孔明の偉大さを讃えるお話であるが、もう少し考えると、蜀漢軍の高級幹部を含めた全員がいかに孔明を信頼し、その死後も、その遺命を忠実に守ったということを示している。現在、日本の自由民主党は、派閥の裏金問題でかまびすかしい。その中で思うのは、一部報道によれば、安倍元首相が派閥の長となった時、キックバックという名前の裏金作りを止めようなどと指示したというにもかかわらず、安倍元首相の死後、一部議員の反対でキックバックが再開されたということで、安倍元首相の遺命は守られなかったということである。反対した議員の中には、安倍元首相を「我が師」とまで呼んでいた議員も含まれるということである。つまり、それほどまでに、安倍元首相の遺命は軽んじられていたということであり、この人たちには人情紙風船どころか、1枚の紙ほどの重さもなかったことになる。その人たちが、安倍元首相生前中には、トップリーダーとしてもてはやしていたのであるから、どういうことなのか、私の理解を超えると思う今日この頃である。