習近平氏と明の第三代皇帝の永楽帝とを比較する本のタイトルを見た。本のタイトルを見たとしか書かないのは、内容を読んでいないからである。「永楽銭」という言葉を聞いた人は多いであろう。日本の戦国時代に、明から輸入されて盛んに使用された銅銭である。その永楽銭が鋳造された永楽という元号の時期に明の皇帝として在位したのが永楽帝である。永楽帝は、明王朝の創業者太祖洪武帝の子供で、洪武帝の死後、即位した甥(洪武帝の長男の子供)の建文帝の政権を武力で倒して第三代皇帝となっている。習近平氏と永楽帝とを比較する本の題名からして、習近平氏を永楽帝になぞらえる内容だと思われる。私の理解としては、永楽帝は、洪武帝の後継者と名乗りながら、実際には洪武帝が作り上げた体制を壊し、自らの能力によった体制を作り上げたと考えている。しかし、それは、永楽帝のように、政治的才能に恵まれ、武勇に優れた皇帝がいてこそ、力が出せる体制であり、それ以外の皇帝ではたちまち立ち往生しかねない体制であった。永楽帝の死後、普通の能力の人物が皇帝となっても、行政が運営できる体制を整えたのは永楽帝の孫で第五代皇帝の宣宗宣徳帝であると言われる。しかし、宣宗の死後皇帝になった宣宗の子供の時代には、モンゴル族の侵攻を受けて、皇帝が戦闘に敗れ捕虜になるという事態が生じている。結局、一旦、個人の能力を頼りにした制度を作ってしまうと、その後、どんな努力をしても、破綻が生じるということなのであろう。それでも、明は、二百数十年にわたって継続したのであるから大したものである。翻って、習近平氏の場合はどうであろうか。私には、習近平氏個人が永楽帝に匹敵するほどの能力があるのか否かは分からない。仮に、習近平氏の能力が永楽帝に匹敵するほどであったとしても、永遠に中国のトップではあり得ない。自らが引退、あるいは死んだ後のことは知らないという考えであれば、習近平氏同様に永楽帝に匹敵する能力の人物が後継者にならなければ、中国は大混乱に陥る。すると、習近平氏は、自らが引退、あるいは死亡した後のことも考えながら、政治を行わなければならない。今後、おそらく、習近平氏は、綱渡りのような政治をすることになるのであろう。ご苦労なことである。