NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が後半戦に入るとのことである。歴史で見ると、これからは北条義時が覇権を握るまで、有力御家人同士の殺し合いが始まることになる。そして、承久の変で、後鳥羽上皇を追い落とした鎌倉幕府が、本格的な武家政権としての歴史が始まることになる。北条義時の息子の北条泰時が、名執権とされる人物で、鎌倉幕府の執権政治を確立するわけであるが、それでも、北条泰時死亡の約90年後には鎌倉幕府も滅びることになる。北条本家は歴史上得宗家と呼称されているが、この得宗家に仕えたのが、御内人と呼ばれる家臣たちで、この御内人達が鎌倉幕府後期の政治勢力の一つとなるのである。御内人たちは、得宗家から得宗家の有する荘園を所領として預けられたり、得宗家が守護となっている国の守護代となったりして、大きな勢力を有するのであるが、鎌倉幕府を構成する大勢力の有力御家人の中にも、得宗家から所領を預けられる者たちもいたようである。それは、奥州で、かなり広大な所領を預けられた者がいるらしい。下野(現在の栃木県)の有力御家人小山氏もそうであったらしく、優遇されていたと思われる。しかし、元弘の変から始まる鎌倉幕府追討戦では、北条不利とみるや、得宗家から優遇されていたはずの有力御家人は得宗家を見捨てて、後醍醐帝側につく。足利氏もその一つである。北条高時から子供の保護を求められていた御内人は、新田義貞に高時の子供を差し出して、自らの身を守っている。
北条高時とともに滅んだのは得宗家から優遇されていた有力御家人ではなく、先祖から得宗家に仕えていた人々であった。これを考えながら、「鎌倉殿の13人」を見ると、栄枯盛衰は世の常とはいえ、感慨深いものがある。