冬来たりなば春遠からじ

最近、寒い日が続いたと思えば、春めいた陽気になったりと、天気がせわしなく変わるようになってしまった。そこで、「冬来たりなば春遠からじ」というわけではない。正月休みに、中国の中唐期から北宋成立期にかけての本を読んだ。安禄山・史思明の乱で屋台骨が揺らいだ唐王朝であった。その後は、節度使等という官職名で一定地域の軍事と民政を掌握するという存在によって、支配地域が削られていくということになる。これを史上「藩鎮」と呼ぶ。中唐期から唐末まではこの藩鎮勢力と中央政府とのせめぎ合い、遊牧民族であったウイグル族やチベット族等も絡み合った歴史が続くことになる。そして、唐は黄巣の乱で事実上とどめを刺され、滅亡することになって、五代十国時代を経て、北宋成立となっていく。ただ、不思議なことは、唐滅亡から北宋成立まで100年も要していないことである。後漢滅亡から隋王朝が成立して統一されるまで300年間の大分裂時代であった。唐滅亡から北宋成立まで100年を要していない。北宋が、ほぼ十国を平らげて、中国本土の統一を果たすまでで考えても、70年足らずである。分裂に分裂を重ねてきた中国本土が、わずか北宋成立から20年も経たないうちに中国本土を統一した。その理由が「冬来たりなば春遠からじ」であった。中央政府に抵抗した藩鎮であったが、「上行うところ、下見習う」で、藩鎮内部でも自らの支配地域を固め、藩鎮のトップに租税を納めず、武力の提供にも抵抗するという藩鎮内の小藩鎮が現れてくる。そのような小藩鎮が増えてくると、小藩鎮同士の小競り合いや小藩鎮を討伐しようという藩鎮のトップも現れてくる。それに対抗するため、小藩鎮が中央政府の力を借りようとする。中央政府にすり寄る小藩鎮が増えてくると、いつまでも藩鎮は中央政府に対抗できないことになる。分裂に分裂を重ねてくると、究極的には、求心力が働いてくるようになり、統一が待望されるようになる。その結果が、北宋による統一となって現れたということである。著者は、そのような事情のことを指して「冬来たりなば春遠からじ」と表現したようである。今現在を見ると、世界も社会も価値観の相違からくる分断の時代に入ったように思える。分裂に分裂が続くことが社会を弱め、その社会に生きる人を苦しめることになる。「冬来たりなば春遠からじ」、あらためて、人が人に共感できる時代、住みやすい時代が来ることを願っている。