忙中閑あり

忙中閑ありという言葉がある。忙しい中でも、ときには手が空くことがあるということであるらしい。現在のところ、私は、ほどほどに忙しいという状態であるように思う。だから、忙中閑ありというわけではない。このコラムも、色々なことを書き散らしているが、まとまったテーマで書いていないため、到底、後世に残りそうもない。そんなことを思っているときに、1996年のオリックス対ジャイアンツの日本シリーズで誤審をしてしまったというアンパイアの書いている記事を読んだ。この時、ジャイアンツの攻撃で、オリックスが守備。ジャイアンツの打者がセンター前に打球を飛ばし、オリックスのセンターであった本西選手が直接捕球したように見えたが、アンパイアのジャッジはワンバウンドでの捕球ということで、ヒットという判定であった。この判定に、本西選手は激怒し、当時のオリックス監督であった仰木監督も激怒して、猛抗議。仰木監督は、守備についていた選手全員を引き上げさせて、抗議を続けた。守備についている選手を引き上げさせるということは、放棄試合も辞さないという意思表示であった。本西選手はゴールデングラブ賞を受賞したことのある足が早く、守備範囲の広い強肩のセンター。レフトは田口壮選手、ライトはイチロー選手で、当時のパ・リーグでは、オリックスの右中間、あるいは左中間を抜いても、一塁ランナーがホームに帰ってくることができないということもしばしば。それだけの黄金守備陣であった。その一角である本西選手が直接捕球したと主張し、左右の田口、イチローの両選手も本西選手の直接捕球を主張したのだから、おそらく、直接捕球は間違いないと思われた。しかし、一度下った判定は覆らない。仰木監督の抗議も無駄なことと思われた。アンパイアの書いたエッセイでも、しまったと思ったが判定は覆せないとして頑張った。その時、オリックスの中西太コーチとトイレで会い、中西コーチが心配するな、仰木監督を説得するからということをいってくれ、その後無事に試合再開となったというものであった。しかし、私は、この試合のことを本で別なストーリーとして読んだ記憶がある。本西選手が抗議しているとき、仰木監督もベンチから出てきて抗議したのであるが、仰木監督はベンチを出る前にブルペンの状況を確認し、10分で次の投手を仕上げさせるという指示を出してベンチを出たということであった。そして、仰木監督はアンパイアに猛抗議をし、守備についていた選手を引き上げさせ、放棄試合とみなされかねないギリギリの時間で選手に守備につくように促した。オリックスのブルペンでは、その時マウンドに上がっていた投手の限界が近づいているという判断の下、次の投手の準備にかかったところで、問題の判定が出て、予定が早くなった。しかし、投手の準備ができていない。そこで、仰木監督は、判定は覆らないということは百も承知で、次の投手ができるまでの時間稼ぎをしたというのである。そして、予定どおり、次の投手の肩ができあがると、選手を守備につかせ、投手交代をし、ジャイアンツの攻撃を封じ、そのまま勝利して、オリックスが日本一になったというものであった。この本で書かれたストーリーは仰木監督という人の策士ぶりをうかがわせるものであった。私は、おそらく、この本に書かれていたストーリーが事実に近いのだろうと思っている。その理由であるが、私は、この試合を観戦していたところ、仰木監督が、オリックスの選手に守備につくように指示した場面を見ることができた。その時の仰木監督は、それまでの怒っているという態度を軟化させることなく、オリックスの選手に指示を出した。仰木監督の指示と態度にギャップがあったので、強く覚えている。常に、先のことを考えながら、指示を出す。仰木監督の野球人としての真骨頂は、この場面に表れているように思う。