あるジャーナリストに対して、「クソヤロウ」という言葉を使って批判したという国会議員に対する損害賠償請求が認められたというニュースを見た。そのニュースを見て、その以前に、そのジャーナリストに対する性的暴行の罪で逮捕状が出されたが、逮捕しようとした矢先に、当時、警視庁の幹部であった前警察庁長官の指示で逮捕されなかったという報道で覚えた違和感を思い出した。あまり問題にされていないな、と思いながら、話題にすることもなく、忘れていた。捜査段階において、被疑者の身柄拘束を行うためには、裁判官から逮捕状、勾留状というもの出してもらう必要がある。しかし、逮捕状と勾留状は法的な性格が異なる。逮捕状は許可状であり、捜査機関において執行する段階で逮捕しないという判断をすることもできる。勾留状は命令状であり、これについて、捜査機関側には裁量権はない。前記のジャーナリストの事件の場合、所轄警察署により逮捕状が裁判所に請求され、裁判所が逮捕状を出したということである。ところが、所轄警察署が逮捕に着手する前に、警視庁幹部が逮捕しないように指示したというのである。そこで、問題なのは、裁判所が逮捕状を出した後に、逮捕しないという判断を行った理由である。いくら、逮捕状が許可状であったとしても、捜査機関に全くのフリーハンドの裁量権が与えられているわけではないと考えられる。そんなことをすれば、捜査機関による身柄拘束は恣意的なものになる。刑事訴訟法がそのようなことを許容しているとは考えがたい。逮捕状における許可状という性質は、一種の覊束裁量と考えられるのであり、逮捕状発付後、逮捕の必要性の要件が欠けた時のような場合に捜査機関が逮捕しないということができると考えられるのである。すると、ジャーナリストに対する逮捕状の執行が行われなかったのは、逮捕状発付後に逮捕の要件が欠けたからと考えるべきなのであろうが、民事裁判の結果からして、そのように考えることには違和感がある。理屈から考えると、所轄警察署が逮捕状を請求した段階で、逮捕の要件が欠けていたということも考えられる。この場合であれば、逮捕の要件が欠けた逮捕状の請求に対して、逮捕状を発付した裁判官の判断はどうなのかという問題になり、そのような裁判官を逮捕状発付という令状事務にたずさわらせ続けることは問題ということになる。一方で、所轄請求書の逮捕状請求の際に、裁判官の判断を誤らせる資料を添付していたということであれば、警察に問題があるということになる。そのどちらでもないとすれば、逮捕状の執行をしないという指示を出した警視庁幹部は、どのような点から逮捕の必要がないと判断したのか。その説明もないし、その説明を求めた報道機関もないように思う。合点がいかないことである。