富士山の登山者が多いらしい。今年は訪日外国人観光客が戻り、その関係もあって富士登山者が増えたようである。その一方で、軽装での登山者、余裕のない日程で登山するいわゆる弾丸登山者も多くなっているらしい。今から四十数年前、私も、その軽装の、しかも弾丸登山者の一人であった。服装は、風を通さないヤッケ、その下に長袖のTシャツ、靴は登山靴ではなかったが、少しごつめのシューズ。恥ずかしい限りである。その時は、十代最後の年、友人2人と一緒に登った。当初の予定では、朝早くから登り始め、昼少し過ぎくらいには頂上に着き、そこで持参した昼食を食べて、現在では使用が禁止されている砂走りを使って一気に駆け下り、その日の夜には自宅に帰ることにしていた(当時の自宅は横浜。友人たちの自宅も横浜。)。ところが、実際に登り始めると予定外のことばかり。どこまで登ったときか覚えていないが、外気温が十数度まで下がっていた。そのとき、寒さに震えていた若者3人に登山者がくれたのが新聞紙であった。当時、たき火は禁止であったという記憶で、何で新聞紙をくれたのか分からなかったが、新聞紙をくれた登山者の一人がヤッケの下に新聞紙を巻いてたら保温されると教えてくれた。実際にやってみると、かなり効果が出た。それでも、その日のうちに富士山の頂上には着かず、暗くなったので、山小屋を探すしかなかったが、当然、山小屋の予約などしていない。やむを得ず、目についた山小屋に入り、どこでもいいので、いさせて欲しいと頼むことにしたところ、親切な山小屋のご主人で、登山者も親切な人ばかりであり、若者3人のために寝る場所を空けてくれ、一晩泊めてくれた。そして、夕食を持参していない我々のために、カップ麺を用意してくれた(もちろん、代金は支払った。)。その時のカップ麺のおいしさは、その以前も、その以後も味わったことのないものであった。今思うと、当時は全て強力さんが運んできた食料であるから、極めて貴重なものであったはずである。翌朝は、登山者のほとんどが出立した後に起こされ、おにぎりであったと記憶しているが朝食も食べさせてもらい、富士山頂上に向かう。頂上で何をしていたか記憶がないが、郵便局に立ち寄ったことを覚えている。一通り、頂上をめぐって、砂走を使い、一気に駆け下り、その夜に帰宅した。砂走を使ったため、新品に近かったシューズには砂が入り、外側は傷だらけでボロボロ。母親から何をしたのと怒られたことを覚えている。そして、以後、富士山の再登山も、他の山の登山もしていない。せいぜい、天保山へのハイキングくらいである。それは、山小屋のご主人と登山者の人から言われたことが響いている。山小屋のご主人からは、8月15日を過ぎたら、絶対に富士山に登るな、富士山は別な山になる、と言われた。おそらく、準備不足の若者3人に、山の恐ろしさを教えてくれたのであろう。そして、登山者からは、山をなめるな、と言われたことを覚えている。山は美しい、しかし、時には凶暴な面を見せる。準備のできないものに山は厳しく、往々にして準備不足のものが山の凶暴な面を味わうことになる。それを、無謀な若者3人に教えてくれたのであろう。富士山は美しい。そして、優しいところもある。しかし、時に、とてつもなく厳しい表情を見せる。今年も、全ての人に楽しい富士登山であり、何らの悲劇も起きないことを祈っている。